ファミリービジネス:地域との深いつながり

ファミリービジネスの夢は、慈善事業や地域貢献活動、フィランソロピーといった形にも現れます。

江戸時代の商家も、社会貢献活動を盛んに行っていました。たとえば大阪では、大阪の富裕な商家の旦那衆は「有徳人」と呼ばれていました。彼らは神社仏閣だけでなく、公共の施設のために私財を投じる「一建立」を競うように行いました。米取引所の淀屋は淀屋橋を、南蛮貿易の末吉孫左衛門は末吉橋を、安井道頓は道頓堀を建設し、地域経済のインフラを整備し、発展に貢献しました。

また、学問、教育分野においても、富裕な商人たちが出資して、「含翠堂」、「懐徳堂」などの私塾を開き、多くの人材を輩出しました。 [中村久人, 2003] 世のため人のためになる行為によって徳を積むことは、ファミリービジネスに活気を与え、永続させるための原動力になる、ということに気付いていたのではないでしょうか。

明治・大正時代にもこれらの精神は引き継がれました。例えばサントリーの前身である寿屋の創業者、鳥井信治郎は、「利益三分主義」を唱えます。これは、事業で得た利益の三分の一を社会に還元し、三分の一はお客様やお得意先にサービスとしてお返しし、残りの三分の一を事業資金とする、というものです。鳥居は恵まれない人たちへの慈善活動、社会福祉事業に熱意を示しました。この創業者精神は現在に受け継がれ、サントリー美術館、芸術財団、文化財団、サントリーホール、サントリーミュージアムといった各分野での文化活動や、地球自然環境保護を目的とした環境問題への取り組みになり、実践されています。

サントリーのみならず、優秀なファミリービジネスは、地域や社会への奉仕を重要なビジョンにしています。利益が出たので社会貢献する、といった条件付きの社会貢献ではなく、社会貢献するので利益が出る、という考え方です。会社の存在理由そのものが社会貢献にあるのです。

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