ファミリービジネス:実務と学術の架け橋となった30余年の軌跡
今日、多くの大学や専門機関で研究されている「ファミリービジネス」ですが、かつてはこの分野が独立した学問として認められていなかった時代がありました。今回は、FFI(Family Firm Institute)が配信している、”FFI Practitoner”のポッドキャスト4月1日号の対談を要約して、この分野の発展に決定的な役割を果たした学術誌『Family Business Review (FBR)』の歴史を振り返りながら、実務と学術がどのように統合されてきたのかを紐解きます。

1. 始まりは「一枚の白紙」から
1988年、FBRの創設者であるイヴァン・ランスバーグ氏は、コネチカット州の自宅のデッキで、「ジャーナルとはどうあるべきか」という問いを前に、一枚の白紙に構想を描いていました。当時、組織研究の世界においてファミリービジネスという現象は見過ごされており、関連する専門家(銀行家、コンサルタント、心理療法士、経済学者など)はそれぞれが「孤島」にいるような状態で、互いに対話することはありませんでした。
FBRの使命は、こうしたバラバラな専門家たちを繋ぎ、「厳密さ(Rigor)」と「関連性(Relevance)」を兼ね備えた議論の場を作ることでした。
※語り手のイヴァン・ランズバーグ氏とケリン・ガーシック氏は、セブン・スプリングスの武井が理事長を務めるFBAA(一社・日本ファミリービジネスアドバイザー協会)のアドバイザーです。
2. 「専門誌(Professional Journal)」という新たな形
FBRが目指したのは、単なる学術誌でも、単なる業界のニュースレターでもない、その中間にある「プロフェッショナル・ジャーナル」でした。
- 初期の苦労: 当時は執筆者が少なく、編集者たちは同僚に執筆を懇願して回りました。また、著名な学者の「スターの力」を借りるため、エドガー・シャイン氏のような大家を編集委員会に招き入れ、分野の信頼性を高めていきました。
- トピックの拡大: ケリン・ガーシック氏の時代には、事業承継や身内びいき(ネポティズム)といった限定的なテーマを超え、ジェンダー、財務、慈善活動、国際問題など、ファミリービジネスを多角的に捉える特集号を組むことで、分野の境界線を広げました。
3. 学術的地位の確立と実務への翻訳
1990年代後半から2000年代にかけて、ジョー・アストラチャン氏らの尽力により、FBRは学術的な「インパクトファクター(引用指標)」を獲得しました。これにより、多くの学者がFBRへの投稿を望むようになり、研究の質と量が飛躍的に向上しました。
しかし、FBRの真の挑戦は、「研究者」と「実務家」という異なる世界を統合することにありました。
- 共通言語の構築: 社会学者と心理療法士では、問いの立て方も使う言葉も異なります。FBRはこれらを統合するフレームワークや共通の用語を提供することに注力しました。
- 実務への応用: すべての学術論文には、その内容が実務にどう適用できるかを解説するセクションが設けられました。これは、理論を現実に翻訳するための不可欠なプロセスでした。
結びに代えて
ファミリービジネスは単なる富の創出源ではなく、雇用や社会の安定を支える重要な存在です。FBRは30年以上にわたり、研究者には新たな知見を、実務家には指針を、そして執筆者には「自分の声が形になる」という感動を与えてきました。
このジャーナルの歩みは、異なる背景を持つ人々が対話を重ねることで、一つの新しい学問分野が誕生し、成熟していく過程そのものと言えるでしょう。

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