
私ごとではありますが、菩提寺とお墓のある名古屋で、曾祖母の50回忌、祖父の43回忌、祖母の27回忌、母の7回忌を同時に執り行いました。11人が仕事や学校の日程を調整して集まってくれました。その後、お斎の前の家系図の勉強会で、次世代メンバーとも家系やこれまでの成功と失敗の歴史を共有しました。

82歳になる叔母から、当時のことを聞くなかで、亡くなった人のことを私たち世代とは違った見方をしていたことも発見でした。当時は、生々しい問題だったことも、時間が経ってから、ゆっくりと対話することで昇華していくようでした。
私たちは、日々起きる不快な出来事や、苦しい状況、ちょっとした行き違いなどでストレスがたまります。それが行き過ぎると、身体的にも不調をきたし、目の前のことだけに焦点を当て、毎日毎日をこなすのに精いっぱいになります。私どももずっとそんな年月を過ごしてまいりました。しかし、陰極まれば陽となり、どん底でも日々神棚や仏壇に手を合わせ、工夫して活動することで、心のケアを心がけ、何とか少しずつ回復し、今はお陰様で元気に過ごしております。
私どもは臨済宗で、神棚もあり、神社参拝もして、クリスマスにもご馳走を食べる、ごく普通の日本の家族ですが、仏壇の十一面観音も、ご先祖も、またアメノミナカヌシの神様も、アマテラスの神様もスサノオの神様も、心の拠り所、精神的支柱として大事にして手を合わせます。
法事で、親戚で集い、先祖に感謝しつつ、日々の苦楽を共有することは、精神衛生上、良い機会だと感じます。楽しいばかりでウキウキすることだけが幸せではなく、苦しいことや悲しいことも地に足ついた人間性を深める大切な要素として、排除せずに、言葉にして共にがっかりしたり、悲しんだりすることで昇華できるのではないかと思っています。
特に大切な人が亡くなった時には、充分にこのプロセスをしないと、躁転して、無理やり明るく楽しくしようとして、あとあと身体にしわ寄せが来たり、家族の中の弱い人のところに一族の負荷が集中的にのしかかったりするという現象を、これまで仕事を通して、いくつか見てきました。
法事は、長いスパンで定期的にそうした現象を予防し、癒し、相互理解を深め、赦し、自分のアイデンティティーを確かめ、親戚や他の人たちとの関係を改めて考え、次世代を育み、生き方を学び、感謝する良い時間のひとつだと思います。
また、法事は、集まる楽しさだけでなく、亡くなった方を偲び、皆で喜怒哀楽をバランスよくかみしめることではないかと思っています。楽しさ重視のパーティーもたまには良いですが、年を重ねると、人が集まることに、もう少し意義や人間的な深みを求めてしまうので、感謝をテーマに一族の成功・失敗、そしてそれぞれの情緒を共有する法事は、次世代を大切にする方におすすめの機会です。

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